福祉分野におけるIT利用の動向
はじめに ――― 「情報福祉」の意味と意義
「ディジタル・デバイド」という言葉を最近、よく耳にする。IT技術が生み出す製品やサービスが急速に発達する結果、「(ITを)使える者と使えない者」の間で様々な格差が拡大してしまう問題を示す言葉である。
国際的に見ると、国家間の経済格差によって生じるディジタル・デバイドの問題が深刻だが、IT先進国のひとつである日本国内を見ても、今後はディジタル・デバイドへの対応は重要な課題になる。なぜなら、日本では、今後数十年続くと見られるITの発達と期を一にして、急激な人口の高齢化が進展するからである。高齢者・障害者は、情報化の動きの中では不利な立場に立たされることが多く、これまで「情報弱者」と呼ばれ続けてきた。こうした人々がITの恩恵をきちんと享受できる情報社会を築くこと、これがITの世紀に世界最先端の高齢国家となる日本にとって極めて重要な課題なのである。
「IT革命」という刺激的な変革のイメージの中ではあまり注目されていないが、高齢者・障害者の生活の向上のためにITを活用する試みは、すでに様々な分野で取り組まれており、私はこれらの取り組み全体を「情報福祉」と呼ぶことにしている(あまりよい日本語とは思わないが)。そして、急速な高齢化を背景として、情報福祉は今後の日本型IT革命の柱のひとつになると考えている。
「情報福祉」の概観
冒頭に示した「ディジタル・デバイド」の解消は、情報福祉の極めて重要な要素のひとつだが、すべてではない。高齢者・障害者の生活を支えるIT、という観点で考えると、現状の情報福祉には大きく分けて3つの分野もしくは側面がある。
まず、介護が必要な高齢者や障害者に対して、ITの活用によってよりよい介護サービスを提供する「ITによるケアサポート」の取り組みがある。これには、ケアマネジメント支援システムなど介護サービス事業者の業務を支援する情報システムの他、テレビ電話を使った状態確認サービスや、最近開発が本格化している介護ロボットなども含まれる。
第二に、高齢者・障害者自身がITを使って自らの生活の質を高める「ITによるライフプロモーション」の側面がある。例えば、最近は高齢者向けのパソコン教室が盛況だが、新しい趣味のひとつとして高齢者がパソコンを楽しむというのはまさにこれに当たる。また、障害者にとっては、パソコンやインターネットを活用することで在宅就業の可能性が開けるなど、これまでできなかったことがITによって可能になる「エンパワーメント」の側面が特に重要な意味を持つ。
そして、これら「ITによるケアサポート」や「ライフプロモーション」を支える基盤となる取り組みが、高齢者・障害者が利用可能な情報機器やサービスを開発・提供する「情報アクセシビリティの確保」である。これが、前述のディジタル・デバイドの解消に当たる部分である。
「情報福祉」の取り組みの歴史
一般的な印象では、福祉とITとは互いに縁遠い世界というイメージが強いと思うが、実は情報福祉の歴史は意外に古く、1970年代からすでに先駆的な取り組みがあった。その代表例は、聴覚障害者向けに音量を調節できる電話機や、ペンダント型の緊急通報システムの開発・提供である。生活に不可欠な情報アクセシビリティの確保を目的とした専用ハードウエア開発というのが、最初期の情報福祉の基本的な構図であった。
その後、30年近い情報福祉の歴史を俯瞰すると、大きな節目が2つあったと言える。
第一の転換点は、1980年代半ばのいわゆるニューメディア・ブームの時期である。当時、電電公社が有名な三鷹INS実験を行ったが、ここではスケッチホンなどの(一般向けに開発された)ニューメディアを福祉目的で利用することが意識されていた。この実験自体は必ずしも成功しなかったが、INSのコンセプトでもあったコンピュータと通信ネットワークの結びつきからパソコン通信や家庭用ファクシミリという新しい通信手段が登場し、これらの一般向けニューメディアが、障害者にとっての貴重なコミュニケーション手段として定着していったのである。
ファクシミリやパソコン通信以降、多くのニューメディアが障害者に積極的に活用されるようになり、ITによるエンパワーメントが本格化することとなった。中でもパソコン通信は、重度の身体障害者が積極的に情報発信できるメディアとして画期的で、世間の障害者観を一変させるような活用事例も多数生まれたのである。
そして、1990年代後半が、情報福祉にとって二つ目の大きな節目だったといえる。この時期は、言うまでもなく、インターネットという分散型の情報ネットワークが発達した時期であり、また、公的介護保険という新しい社会保険制度が設計された時期である。
この二つは、一見何の関係もないように見えるが、実は密接に関わっている。というのは、公的介護保険制度は分散ネットワーク型の情報処理システムによる事務処理を基盤として設計されており、インターネットを生み出した現代のITを背景として初めて成立し得た制度なのである。介護福祉は、これまで最も情報化が遅れていた分野のひとつだったが、IT活用を基本理念とする公的介護保険が生まれたことにより、今後、いやおうなしに各介護サービス事業者の「情報化」が進むと予想される。公的介護保険は、停滞していた介護福祉分野の情報化を一気に進展させ、「ITによるケアサポート」の本格化を促す改革でもあったわけである。
「情報福祉」の今
このように、情報福祉の取り組みは、いくつかの節目を経て段階的に幅を広げてきたわけだが、現在では非常に多様な取り組みがなされており、全体を紹介することはとても不可能である。そこで、ここでは、現在の状況を象徴するような事例や動向をいくつか紹介することにする。
まず、情報アクセシビリティの領域では、インターネットのアクセシビリティが大きな課題になっている。テキスト情報中心だったパソコン通信に比べ、インターネットサービスの中核をなすWWWは画像などのグラフィカルな要素が格段に多く、視覚障害者にとっては問題が多いメディアなのである。特に商用サイトでは、飾り文字などをわざわざ画像やアニメーションにして表示している場合もあり、視覚障害者用の音声読み上げソフト(テキスト情報を音声変換して読み上げるソフト)を使うとまったく内容が把握できないサイトさえ数多く存在している。
WWWのアクセシビリティについては、W3Cが作業部会を設置してコンテンツ制作上のガイドラインを策定している他、国内では郵政省(まもなく「旧」がつくが)が研究会や作業部会を作って検討を本格化させている。ただ、この問題を本当に解決するためには、個々のウェブサイト制作者・管理者の協力が必要であり、今後、情報福祉の中でも特に重要かつ困難な課題になっていくであろう。
ITを使ったライフプロモーションやエンパワーメントについては、「シニアネット」と「パソコンボランティア」という2つの草の根型の活動が注目される。
シニアネットとは、パソコンを楽しむ高齢者およびその支援者が作るボランタリーなグループで、高齢者向けパソコン教室を開催したり、ウェブサイト上での交流などに取り組んでいる。シニアネットの特徴は、パソコン操作を習得した高齢者自身が、これからパソコンを始めようとする高齢者のサポート役になるという点にある。「支援する側」と「支援される側」の境界を取り払った、新しいタイプのボランティア活動ということができる。
一方、パソコンボランティアは、パソコン利用によって重要なエンパワーメントが期待される重度障害者に対して、パソコン利用の指導や必要な機材設定を行うボランティアである。すでに全国各地に大小のパソコンボランティア団体が生まれており、活発に活動している。ただ、パソコンボランティアが活発化するのは、この分野での公的サポートが不十分であることの裏返しという側面もあり、今後は地方自治体等の積極的な対応が望まれるところである。
最後に「ITによるケアサポート」の領域では、前述のように公的介護保険の導入が非常に大きなマイルストーンになり、この1年でケアマネジメント支援システムの介護サービス事業者への導入や、ウェブ上での介護情報サイトの開設が一気に進んだ。ただし、導入された業務支援システムが介護の現場で十分活用されているかという点にはなお疑問符がつくし、介護情報サイトも乱立気味で、今後は厳しい淘汰が進むと予想される。残念ながら、介護を実際に行うスタッフの平均的なコンピュータ・リテラシーのレベルと、システム開発者やウェブサイト運営者の多くが想定するIT活用のイメージとの間には相当なギャップがあるのが現状である。ITを有効に活用した介護サービスのあり方が確立するには、まだしばらくの時間と様々な試行錯誤が必要であろう。
最後に、手前味噌になるがアライド・ブレインズの取り組みについて少しご紹介させていただきたい。
平成11年度には、郵政省が金沢市で実施した「高齢者・障害者のためのホームページ簡易制作システム実証実験」の中で、高齢者・障害者自身によるホームページ作成や電子バリアフリーマップ作りに取り組んだ。現在は金沢情報長寿のまちづくり協議会が引き継いで実験サイトを運営しており、今でも新しいページが次々に作られている。
また、財団法人テクノエイド協会の助成をいただいて、身体障害者用の日本語入力支援ソフトの開発にも取り組んでいる。これは、単語予測入力という技術を使って、少ない操作で日本語の自由文を入力できるようにするソフトウエアである。すでにα版が完成し、全国の身体障害者やパソコンボランティア向けにインターネット上で公開している。
これらの取り組みは、いずれも専用のウェブサイトを設けて情報を公開しているので、関心のある方はぜひ覗いてみていただきたい。
・参考資料
- 「21世紀の福祉型情報通信システム」 郵政省通信政策局編、大蔵省印刷局、1985年
- 「File 最新ニューメディア事情」 芦田良貴編・著、電通、1985年
- 「情報長寿社会の実現に向けて」 郵政省通信政策局情報管理課監修、新日本法規、1995年
・参考ウェブサイト
<情報アクセシビリティについて>
・郵政省「情報バリアフリー環境の整備の在り方に関する研究会」報告
・株式会社ユーディット
<シニアネット、パソコンボランティアについて>
・シニアネット福岡
・日本障害者協議会パソコンボランティア支援センター準備室
<介護保険について>
<アライド・ブレインズの取り組み事例>
・高齢者・障害者のためのホームページ簡易制作システム実証実験
・身体障害者向け日本語入力支援ソフト
技術と経済(科学技術と経済の会)2000年12月号より転載